株式会社 電建


 株式会社電建は、兵庫県尼崎市にある電気設備工事、空調・換気設備、通信関連設備、防犯・防災設備、その他電気機器販売を行っている会社である。社員数10名で、1名の障がい者が働いている。当社のビジョン(使命)は「私たちは、日本で1番喜ばれる電気工事会社になります」というものであり、お客様、社員、家族、取引先、地域の人々といった関わる人すべてに喜ばれる会社を目指している。会社には、社員が描いたビジョンを表す絵が掲げられている。同社に関わる全ての人々、資源、環境等が描かれ、地域の一人ひとりの生活の中に電建が関わっていることを表している。ビジョンの柱は5つ。「200年以上続く会社であること」「100人以上の社員が共に働くこと」「全員が良い人であること」「経営理念の下に経営がなされていること」「あらゆる人々が働ける環境であること」これらのビジョンを達成するための「夢への挑戦」という経営理念があり、経営、工事、環境といったそれぞれの方針を掲げて、日々、事業のみならず、勉強会やボランティア活動、社会貢献活動を行っている。


皆が違うからこそ、会社の強みになる


 「今回、雇用した3人は3人とも違うから雇用したんですよ。のびしろがすごくあると思って。可能性が広がると思ったんです」と話してくれたのは、同社の代表取締役の松本氏である。社員に課題を出して同じ答えが返ってくると広がりの幅はないが、いろいろな人がいたら、この考え方も良いなと思い、自分の考え方を変えるきっかけにもなると考えているからだ。会社に電気工事のみならず、何かの技術に特化した人が入ったら、会社の技術力が上がる。別々の種類の人間がいることが会社の強みになると思えるようになった。しかし、昔は違った。スタートアップの時は「入社するなら、こういう人間でないと」とまで言っていたそうだ。
 なぜそこまで変わったのかを聞いてみると、いろいろな人に出会ったからという答えが返ってきた。社員で働きづらさを感じる人がいたり、障がいのある人の実習を受け入れたり、児童養護施設でボランティアをしたりするうちに、「いろいろな人がいる」ということを松本氏自身が学んでいった。自身のことも振り返るきっかけとなり、自分も1つのことしかできない特性があると自覚して、徐々に意識が変わっていった。
 今では「こういう人間でないといけない」という考えから、「いろいろな特性の人がいて、それらの特性をどうすれば仕事に活かせるか」という考えに変わった。今はその特性が仕事に直結していなくても、教えることでできるようになるかもしれない、そう考えるようになった。そういう意識になると、人の様々な可能性に気づくようになった。「絶対、(彼が)うちに来たら面白いことになると思って。本人は気づいてないからね。多分、設計とかね(自分ができる可能性があるだなんて)」。松本氏は無理強いをしないが、本人に可能性を示すことはする。「『将来、技術部って作りたいけど、そういうの興味ないの?』と尋ねたが、その時は興味がないと答えたようだ。その後、頭の片隅に置いておいてほしいと伝え、今でも彼の成長を楽しみにしている。」


次につながる手段になれば、それはもう失敗ではない


 「失敗が怖い」という社員には、「失敗してもよい」と常に伝えている。ある日、電気工事の資格試験に落ちた社員がいた。その時に、「落ち込むということはもしかすると、まだ努力ができると自分が思っているのではないか?次にどうするかを考え、次につなげて全力でやり切れば、清々しい気持ちで失敗ができる。そうであれば、それはもう失敗ではない。次にどうするかへの手段に変わる」といった言葉を伝えた。その社員は何かを吹っ切れたのか、次の日、元気になったそうだ。
 これも松本氏自身の経験から学んだことだ。トライアスロンをやっているが、たくさん練習して自分で努力をしたと思っていても結果が出ない時もあった。その時にとても落ち込んだが、後から考えると、全く練習が足りてないと思うに至った。心から「自分の中の最大の力を尽くした」と思えると、自分で納得ができる。一生懸命やった後、結果が出なかった時の答えの出し方を学ぶ必要があるとのこと。その時の結果が失敗であっても、次に、その失敗をどう活かすかということを考える時間をつくりたいと考えている。社員には、手を抜いたら注意するが、どう活かすかを考えて挑戦し失敗したならば、それはもう失敗ではないと伝える。
 もしも、本人は全力でやったと言うが、周りからは手を抜いているように見えた時は、本人の話をしっかり聴いた後で、相対評価をする時もある。松本氏が考える評価の基本は絶対評価であり、「昨日より今日の自分がどれだけ成長したか」というものである。しかし、手を抜いたように感じた場合は「申し訳ないけど、他のメンバーは実技のトレーニングを終業後ずっとやっていた。あなたはいつも帰っていたと思う。そういう人たちよりも自分は力を尽くしたという自信はある?」と尋ねる。
 社員の話をしっかり聴いて、気持ちを受け止めながらも、本人が結果に折り合いをつけ、次につながるにはどうしたら良いかを考えることに時間を費やす。人によって、話し方を変え、その人が納得できるように話をする。対話し、本人に気づきを与えることも松本氏の大切な役割だ。


パスを出し続ける


 松本氏は人の成長のスピードは人それぞれなので、本人が本気で乗り越えたいと思うようになる時期を待つ。「昔は、今すぐやるか、やらへんかで相手に期待してたと思うけど、それをやると、相手も自分も傷つく。そうなると、今度は相手に(全く)期待しないみたいなことになっちゃうんで。普段から期待をせんとこう(しないでおこう)と思って。ただ、(相手に対する)パスは出すから、変化(するかどうか)は向こうが決めたらいい。僕はパスを出し続けようと思って。ほとんど、そのパスは返ってこないけど、ずっとやってるとたまに球が返ってくるんですね。ちょっとずつ(相手の)取り組む姿勢が変わってきて。(中略)1つずつクリアしていって。その変化は結構面白いですね」
 ただし、人の変化には、長い時間がかかり、松本氏自身も多くの気づきが必要である。松本氏や会社だけで抱えるのではなく、地域や外部の支援機関等のサポートを受けながら、皆で目指していく。これも大切なことだと語った。


変われるタイミングがどこにあるか


 ある社員は、よく「電建に入ってから考え方が全く変わりました」という話をしてくれるそうだ。それを聞くたびに、人はどこかで変わるタイミングがあると思いながら、自身の変わったタイミングも思い出す。タイミングの多くは、「好きだから頑張れる」「楽しいから頑張れる」「達成したから」「お客様に喜んでもらえた」など。そうであるならば、社員が仕事を楽しいと思うにはどうすればよいか、を大切にしたいと考えた。
 そこで、「ありがとうボード」を作り、お客様からのありがとうの言葉をいただいたら社内に掲示したり、「笑顔届けプロジェクト」をスタートした。以前は業務でPDCAサイクルを回すのに、松本氏がP(計画)とD(実行)の内容を考えていた。しかし、これでは目的が固定化されてしまって、社員皆の発想が湧いてこなかった。受注率を上げるために何をするかという短絡的な思考から広がらなかった。社員の楽しさにつながることから考えると、自然に「お客様に喜んでもらうためにどうするか」という考えが浮かび、そちらに切り替えた。そうすると、社員が積極的に、かつ、楽しそうに会議をするようになり、今では笑い声の絶えない会議になったそうだ。自ら決めたことなので、実行する意欲も高まった。


腹落ちする理念づくり


 ある社員は、よく「電建に入ってから考え方が全く変わりました」とい以前、経営理念をつくったときは資金的に苦しい時期だった。今思えば、武装している形だけの理念で、理念の内容はどうでもよかったそうだ。会社が潰れそうだったので、戦略とかお金をどう稼ぐかに興味があり、理念は二の次だった。
 あれから10年ほど経って、以前の理念では心に響かないと感じるようになり、作り直した。10年やっていると社員との絆もできて、お金のためだけに事業をやっているのではないと思い出すことができた。心の底から出てくる1つ1つの言葉は、納得する意味のある言葉であり、腹落ちした理念が作れた。
 思考のプロセスはこうだ。事業のメインが電気工事で、電気工事は何の効果をもたらすのか?それは経済発展のため。それが実現した先には、経済状況がよくなるので、みんなの生活が豊かに安定するようになり、皆がいがみ合わない、愛が溢れてそれを誇れる社会へつなげられる。そういう社会を実現したいと心から思っていることが、同社の経営理念となった。まさに10年の仕事や同社の関わり全てから生まれた理念である。
 そして、松本氏はこう締めくくった。「一番大切にするのは、まず社員さんもお客さんも横並びではあるんだけども、ほんまに大事にせなあかんのは社員さん。社員さんが幸せな状態だからお客さんも幸せにできるっていうスタート。だから自分たちがまず幸せじゃないといけない」。だから、この会社と縁がある社員は放っておけないそうだ。
 何か困難な状態に陥った時、松本氏はこれまでと変わらず、相手と対話をしながら、パスを出し続けるだろう。そして、少しずつ変化するのを待ちながら、そのプロセスさえも楽しむ。そうしている未来の様子がインタビューを通して鮮明に想像できた。